東福寺の三門の天井に描かれている天女エピソードを伺いました!この鳥は、『阿弥陀経』に出てくる仮想の鳥。
極楽浄土に生まれる前、大変仲が悪かったそうです。片方の頭が「右へ行きたい」と言えば、
もう一方の頭は、「いや私は左へいきたい」と言い、片方の頭が「もっと遊びたい」と言えば、
もう一方の頭は「いや、もう遊ぶのは飽きた、休みたい」と事あるごとに意見が衝突。
ある日、片方の頭が相手の頭に毒の実を食べさせる。
身体が一つですから、両方ともに命を落としてしまうわけです。その命を落とす寸前に、
その毒の実を食べさせた頭が、大切なことに気付き慚愧します。
「これまで私はわがままを言いながらも、何とか元気で来られたのは、あなたがいてくれたからだった。
この私の命はあなたの命の上に出来上がっていたのだ。」これを「縁起の道理」と言います。
このことによって極楽浄土に生まれたということです。
もう一方の立場に立つものというのは、「自分以外のすべてのもの」だったということに気付かされます。
換言すれば、「この私は自分以外のすべてのものによって生かされ育てられている」ということ。